最近、世の中オカシクない?って思いませんか?
いろんなことが起きて、いろんなことが明るみに出て、なんだか全部崩壊しちゃいそうな勢い。
じぶんの周りと言えば、人間関係も大変で、仕事も忙しくて、ぜんぜん余裕がない状態。
明日、急にじぶんの世界が終わります。って分かったらどうしますか?
「ちょっと待って!まだ やり残したこといっぱいあるからまだ死ねない」
って思います?
いままでガマンしっぱなしで生きてきて、これからもガマンし続けないといけないのはもう勘弁ですよね。
でも、よく言うじゃないですか、「思考がさき、現実が後」って。
いつもの思考が現実を創っているとすれば、その思考のクセを治せば現実も変わるということ!
だから、ちょっと『考える』ということが何なのか考えてみませんか?
哲学は、日頃野放しにしているじぶんの思考をフォーカスするきっかけになります。
1.超訳 哲学者図鑑
哲学というと小難しいイメージがありますが、この本は、哲学者たちの思想を分かりやすくまとめてあって、とても読みやすいんです。
哲学者一人あたり4ページで解説!
膨大な量の論文を読まなくても、大枠はつかめます。
哲学の歴史の大きな流れをつかめて、その思想の変化、その時代時代の常識(思い込み?)を認識できるのがおもしろいところです。
その歴史を踏まえて、いまの世の中を眺めると、いまの常識のおかしさが見えてきます。
それぞれの哲学者の ひととなりもわかって、その本人と、その思想に興味がわいてくるはずですよ~。
フランスの哲学者リオタールはこう言っています。
「大きな物語」は終わり、これからは「小さな物語」の時代がくる
解説によると、
全ての人が、良い大学に行き、良い会社に入って出世するのが幸福であるとか、裕福になることが人間の目指す幸福である、などの考え方も「大きな物語」の一部でしょう。しかし、時代が進むに従って、そのような価値観は崩れ、人はそれぞれの物語、つまり「小さな物語」を生きるようになるのです。
小さな物語の時代ですよ~。
2.14歳からの哲学 考えるための教科書
哲学そのものを分かりやすく解説されているのはこの本。
『14歳からの哲学』とはいうものの、子供だましではなく、本格的な哲学書です。
善悪をテーマにしたパートの抜粋
善悪の基準を自分の外に求めるという思い込みの根は、とにかく深い。まさにこの思い込みのために、人類において、道徳や法律は時代や国によって相対的となっているのであって、本当は話がまったくあべこべなのだけど、ここ数千年、人類はそのことに気がついていない。
じぶんの外側にある道徳や法律が善いとすること、悪いとすることが、善いこと、悪いことなのでは決してないということです。
常識を疑う目や感覚を養うのに適した本です。
3.幸福論
幸福論
- 作者:アラン
- 発売日: 2014/07/10
- メディア: 単行本
上機嫌であることが義務である、というのがアランです。
一風変わった哲学者です。
596ページもある分厚い本ですが、ひとつのテーマは数ページで読めるので、ご心配なく
不機嫌に立ち向かうとき、知性は無力であり、ほとんど役に立たない。私たちの身体のうち自分自身で制御できるのは運動を伝える筋肉だけなのだから、すぐに姿勢を変え、適切に身体を動かすことだ。たとえば、ほほえむ。肩をすくめる。こうした動作には、心配事を軽くするという効果があると言われている。
アランの上機嫌法は『ほほえむ』こと。
これならいつでもできますよね。
本の裏表紙に書いてある以下のメッセージに共感です。
もう深刻ぶるのはやめてのんきにやろう
4.深海魚は海を知らない
新書版でおすすめはコレです。
深海魚は自分たちが居る海以外を知らないからこそ、海を知らないという話です。
私たちに置き換えると、「存在とは何か?」の問いを非存在の立場から見なければ分からないだろうということなんですが、この「存在とは何か?」と疑問に持ったことが、実は無意識のうちに、非存在の立場から見ているからこそ、浮かんできた疑問ではないかという点がおもしろいと思うのです。
すべて波動エネルギーでできている中で生きているからこそ、波動エネルギーのことを知らないだけかもしれませんね。
私たちの思考は生まれたときから学校教育や新聞、テレビ、あるいはインターネットなどによるさまざまな情報に汚染され、支配されています。
哲学という学問、いえ、思考を始めるときは、まずそれらの常識や先入見の塊を排除しなければならないのも、大きな課題のひとつなのです。
5.あなたを変える七日間の哲学教室
対話形式が好きな人にはこちらをおすすめします。
本の中で登場する、哲学者と読者の七日間(月曜日~日曜日)の対話です。
ほかの決定ができる場合、つまり、ほかにも選択肢がある場合、その決定は自由で、ほかの決定がまったくできない場合のみ、その決定は自由ではないということですね。要するに自由な決定とは、少なくとも二つの選択肢があり、どちらを選ぶとしても、別の方も選べたという可能性が残っている場合のことを言うんですね。
そのとおりだと思います。
選択肢のない状態を抜け出すためには情報が必要だし、別の情報があるから選べるようになるということです。
ある男が線路の分岐点に立っている。片方の線路の上で五人の子供たちが遊んでいるのが見える。向こうからやってくる電車はこのままだとその線路に突進してくる。男は分岐器で進路を切り替えることができるが、別の線路の上では子供が一人遊んでいる。さあ、彼はどうするべきだろう?
この設問の解説は本書にまかせるとして、私は切り替える必要はないと思いました。
電車が近づいて来たら子供たちは気づくだろうし、そもそもその男が大声で注意を促せば、自分たちで安全な場所に行くでしょう?
別の線路の上で遊んでいた一人の子供は、この時間にこの線路に電車は通らないと知っているかもしれないし、もしそうなら、切り替えたせいで事故になってしまうかもしれないし。
まぁ、線路を切り替えて、その一人の子供を物理的にその男が助けるというのが、もっとも安全なのかもしれませんが。
設問が期待しているのが、切り替えるか切り替えないかだけを問う道徳問題なんですが、なんだか設問自体に愛が感じられないと思うのは私だけ?
6.幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ
アドラー心理学で有名なアドラーの教えは哲学とも言えます。
詳しくは過去記事にて。
naotankikimax.hatenablog.jp
気軽に哲学してみませんか?
ピンと来た本があれば、ぜひ読んでみてくださいね。
それでは!
【他のおすすめ本記事はこちら】
naotankikimax.hatenablog.jp
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